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互いに赦し合うという御言葉に従う時とは

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★教会はキリストの身体であるという視点から、ルターが大変興味深い表現を用いて、教会内の“あること”について語っています。★様々な障害や間違いが信者たちの間に起るはずであり、私たちは自分の歯で自分の舌を噛んでしまったり、握り挙が目に飛び込んだり、足が自分を蹴飛ばしたり、頭が壁にぶつかったり、というようなことになりがちであって、私たちはそのために腹を立てないではいられない。(その通り!)★しかし、そんな時、人はこのように考えなければならない。まあよかろう。それはあなたの会員だ。あなたの兄弟もしくは隣人だ。あなたはそれについて、いったいどうするつもりかね。彼はうっかりやったのだ。わざとやったのでも、悪気があるわけでもない。さもなければ弱さか、無分別から起ったことだ。ぶつかって、あなたはからだを痛くしているが、それだからと言ってあなたは自分の手足を切り捨ててしまうのか。(確かに!)★ほんの小さな火種があるのだ(なるほど!)。悪魔がそこに毒のある息を吹きかけたり、悪い舌をもってやって来て火をつけたりしないように、そこヘ唾を吐いて(凄い表現!)、火種を消しておきなさい。その火をそのままにしておくと後になって消すことができなくなり、静められないような争いと憎しみになって、全体に害を及ぼすようになる。なぜなら、悪魔は人が彼を阻まなければ、悪事をやめもしないし、引き下がりもしない霊だからである。★ルターが念頭に置いている御言葉はこれです。「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。(エペソ4:32)
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