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愛の律法について

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★新約聖書の中から「」という言葉を含む聖書個所を探し出しますと、真に沢山の箇所が登場してきます。Ⅰコリント13章などはすぐに思い出されることでしょう。しかし、多くのキリスト者は、即座に「愛せない」という思いを持ちます。誤解を恐れないで語りますと、この反応は私たちの実態を表していますので、この反応自体はおかしなことではありません。★そのように理解した上で、パウロの言葉を持ち出しますと、パウロは「愛を追い求めなさい」と勧告します。つまり、私たちキリスト者に対して「愛せない」即ち「私には愛がない」という状態に留まり続けないようにとパウロは勧告するのです。★このように語りますと「再び律法主義が求められている」と意見したくなるかもしれませんが、その意見は的を得ていないのです。このことを説明します。「律法主義」とは、「自力」で律法を守ることによって、主なる神様の御前に自らを義としようとする生き方のことです。キリスト者はそのような生き方から完全に解放されたのです。とは言え、被造世界の管理者である私たちから律法が取り去られたわけではありません。★聖書の御言葉から分かる事は、「愛がない私が」与えられた「聖霊の働き」によって「愛の実を結ぶ者に変えていただける」ということです。律法主義との比較で言えば、キリスト者は聖霊なる神の力によって律法のゴールである愛の律法を守らせていただき、既に義とされていることが世にも見えるようになることです。★ここで重要なことは、キリスト者は既に「愛せない事を赦されている」者として、「聖霊なる神の働きによって結ぶ愛」を追い求めて生きるのです。
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