牧師のページ

HOWとWHY


★最近の新聞をにぎわしている出来事に、トヨタ自動車のリコール問題があります。その問題の本質とは別に、そこから考えさせられる事柄としてHOWとWHYの問題があります。★車を運転する私たちは、車がなぜそのように動くのか(WHY)という、車の動く精密な仕組みについては、良く知らないのですが、どのように運転するか(HOW)についてはよく知っているのです。このことを次のように表現出来ます。「WHYは知らなくてもHOWを知っていれば、とりあえず運転はできる。」★ここで、この文章の中の「運転」という個所に「生きる」という言葉を入れてみます。するとこうなります。「WHYは知らなくてもHOWを知っていれば、とりあえず生きることはできる。」なるほど、と思います。しかし、この文章を丁寧に考えてみますと、意外に重要なことを語っています。と言いますのも「人はなぜ生きるのか?」という問いに対して明確な答えを持たずとも、確かに人はとりあえず生きることが出きるからです。しかし、生きるということを真剣に考えだしますと、この「なぜ生きるのか」という問いが消すことのできない心の声として浮かび上がってくるのです。★「人はなぜ生きるのか?」この問いに対する答えを出さずとも、「とりあえず生きることが出きればいいのさ」という生き方は一面の真理を持っています。しかし、それはあくまでも一面の真理であって、真実な心の渇きそのものを癒すことは難しいと私は考えます。★「存在の頂点に位置しているのは人間である」という前提でこの問いに対する答えを見出そうとする限り、答えは見つからないのではないでしょうか。人間には「外からの啓示」が必要だと私は考えます。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver