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タラントの譬えが伝えていること

sks-47
★マタイによる福音書第25章には、通常「タラントの譬え」と呼ばれる譬え話が記されています。★この譬え話を用いた説教の中で、私自身、1タラントを託された僕が、2タラントや5タラントを託された僕と自分とを比較しているかのように語ってしまったことがあります。その理由は、私たち人間が比較によって劣等感を抱いて落ち込んだり、逆に、優越感を抱いて高慢になったりする現実を知っているからです。★しかし、譬え話そのものを丁寧に読めば分かりますように、この譬え話の中には「タラントを比較する」という要素はどこにもありません。この譬え話の中で最も重要な要素は「僕」が「自分の主人」をどのように考えていたのか、ということです。★つまり、「僕」の側が「自分の主人」をどのように考えていたのかによって、自分に託されているタラントの用い方が決まってしまったということです。★これは主イェスが語られた譬え話ですから、適用的に言えば、「創造主」から託された自分の人生そのもの、細かく言えば、自分の性格や種々の能力をも含めた自分という全存在をどのように生かすのかということは、自分が「創造主」をどのような御方と考えているのかということと深く関係しているわけです。★もちろん「創造主」については、聖書全体から読み取らなければなりませんが、主イェスご自身が、「わたしを見た者は、父を見たのである」と語っています。ですから、次の問いが重要です。「自分は主イェスのことをどのような御方と考えているのだろうか?」この問いに対する答えが、そのまま、自分という全存在をどのように生かすのかということと深く関係しているのです。
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