「思い煩い」を主イェスにゆだねてしまう
30/01/22 00:00
★山上の説教から主イエスの言葉です。
(26)空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。(27)あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
(30)きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
(33)まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(34)だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
★荒野で悪魔(サタン)の誘惑の言葉に対して主イエスが語られた言葉です。
(04)イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
★キリスト者は、上記(04)節の「神の口」の所に「イエスの口」と入れて読むことができます。そして、主イエスとの個人的な関係(インマヌエル)を前提すれば、次の使徒ペテロの言葉も同様です。「神」の所に「イエス」と入れて読むことができます。
(03)神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。