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「種まきと刈り取りの法則」が意味すること

★詩篇第73篇の内容を大きく概観します。①詩人は神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵み深いということを知りつつも、自分の足がつまずくばかり、歩みがすべるばかり」となりました。②その理由は、詩人が悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからです。詩人が見るに「悪しき者には苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、他の人々のように悩むことがなく、他の人々のように打たれることはない。それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る。彼らはその口を天にさからって置き、その舌は地をあるきまわるのです。結果民は、心を変えて彼らをほめたたえ、彼らのうちにあやまちを認めない所にまで至っているのです。③ついに「彼ら」は言います。神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか。④そして、詩人は自分が神の御前に「心をきよめ、罪を犯すことなく」生きることや「悪しき者」から受ける苦難に耐え「朝ごとに」御言葉によって主からの「懲らしめをうける」ことが「まことに、虚しく」思えたのです。「悪しき者であるのに、常に安らかで、その富が増し加わる」のは何故なのかと問うことは「めんどうな仕事のように思われた」のです。⑤しかし詩人は「神の聖所に行き、彼らの最後を悟った」のです。主なる神様は「彼らをなめらかな所に置き、彼らを滅びに陥らせられる」のです。★「なめらかな所に置かれている時」に「悪に対する最後の裁き」を考え、対応できることは「恵み」なのです。
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