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「空の空、空の空、いっさいは空である」ならどうするのか?⑦ 220828

★前回、申命記第29章29節「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し…。」を引用し、次のように語りました。「人間の有限性を越えた事柄はわれわれの神、主に属するものである」と解釈可能です。そして、心理学が教える心の感じ方を採用すれば「われわれの神、主」をどのように理解し、信じているかによって「自分が万能ではない─人間が有限な存在である」という事実に対する感じ方は変わるのです。★今日は、このシリーズの最後として、主イェスが語られた山上の説教に登場してもらいます。幾つかの言葉を抜粋します。

[04]悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
[06]義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
[07]あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
[09]平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

」を例証するためにコヘレトが持ち出した主題の中に「悲しみ・義・あわれみ・平和」が含まれています。「悲しみの除去・義の実現・あわれみの支配・平和の実現」は「実現可能な道があるはず」なのに「その道筋を見出しえない」と言う意味では「」が当てはまっていると言えます。★しかし、この視点から主イェスが語られたこれらの言葉を読む時、大きな視点ですが、私は、主イェスという御方が、その「実現可能な道」として歴史の中に登場して下さったと読む事が出来ます。

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