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キリスト者に対して万事は益となる

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★今朝は大変有名な次の御言葉を考えます。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」この言葉にありますように、キリスト者を「神を愛する者たち」と解釈しますと、続く言葉から、キリスト者は「ご計画に従って召された者たち」となります。言葉を換えれば「選びに従って呼ばれた者たち」となります。★「召された」を「呼ばれた」と言い換えましたが、その意図は、キリスト者は「呼びかけ」に「応答した者」と理解するからです。この理解に立ちつつ、主イェスの言葉に聞きます。「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。」「あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」ここから「わたしの羊はまた、わたしを知っている。」、「わたしの羊はわたしの声に聞き従う」という主イェスの言葉に注目すれば、キリスト者がキリスト・イエスの呼びかけに応答したのは、あらかじめ、自分が応答すべき声の主(ぬし)を知っていたからだとなります。つまり、このことは「選び」について語っているわけです。★「ただ恵みによって救われたのだ」ということが分かるキリスト者は、これらの言葉から、創造主なる神のこの「選び」が「恵み」の出発点であると知ることになります。ですからパウロの言葉は「神は…共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」となります。★キリスト者に対して「万事は益となる」のです。
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