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恵みの働きは「甘やかし」ではない

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★パウロはローマ人への手紙第8章で以下のように語っています。(26)御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。(27)そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。★ここには、キリスト者の為になされる「御霊による執り成しの祈り」のことが語られています。キリスト者によっては、この言葉により、主なる神様の恵みの働きは、キリスト者を「甘やかす」のではないかと誤解するかもしれませんが、そうではありません。パウロ自身が述べていますように、御霊が行うのは「神の御旨にかなうとりなし」であって、その時、キリスト者個人の側が必要だと考えている事柄が与えられるようにと執り成されるわけではないのです。★主なる神様の側が「主権を持っておられる」というこの事実に対して、いじけたり、すねたりするとしたら、それは、わたしたちキリスト者の側の人格が「成長する要素を抱えている」ことを示すわけです。★主なる神様の「主権性」は、わたしたち信仰者の知性の中に収めきれるものではありませんし、仮に収まっていると思えたとしたなら、それこそ、主に祈り求めていたことが「神の御旨にかなっていた」ということに過ぎません。★恵みの働きは「甘やかし」ではなく、キリスト者の人格を成長させ、更なる成熟へと導く働きなのです。
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