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わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる

★使徒パウロは、宣教の戦いの中で獲得した信仰的確信を次のように述べています。「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」★このパウロの言葉を、私たちキリスト者の歩みに適用することが許されるなら、明確に了解されることがあります。否定的な要素だけを拾います。そうしますと、この世にあって、キリスト者は「貧する」こともあり、「飢える」こともあり、「乏しい」こともある、ということです。つまり、「富む」ことや「飽く」ことを絶対的に保証しないという意味で言えば、日本的宗教の視点で、キリスト教は御利益宗教ではないことになります。★敢えて言葉を合わせますが、それでは、キリスト教信仰の「御利益」とは何なのでしょうか。それは、パウロの言葉にありますように、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」という信仰的確信です。これは、言葉を換えて言えば、「創造主なる神が、自分の味方であるから大丈夫という信仰的確信を持って良い」、ということです。ですから、パウロは「ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。」と言い得たのだと信じます。
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