全人類に対する「死」の絶対的支配力の根拠は何?
19/07/20 00:00
★ローマ人への手紙第5章13節、14節は、口語訳では次のようになっています。
[13]というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。[14]しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。
★この2節に対する塚本虎二先生の敷延訳が修武先生によって紹介されています。
「何故か。律法のない時代は、つまりアダム以後モーセ律法の出来るまでの間にも、罪はこの世にあったが、律法がないので、たとえ罪に当ることをしても、罪はその人の責任に帰せられず、罪の罰は受けないはずである。にも拘らず、アダムからモーセの間にアダムと同じ律法違反の罪をおかさなかったその時代の人々の上にも死が王として支配したからである。したがってこの罪と死がアダムによるものでなくてなんであろう。そして一人の行いが、全人類に影響を及ぼす点において、アダムは来たるベき者である新約のアダム、即ちキリストの型である。」
★この敷延訳の言葉からわかりますように、塚本先生は、パウロの論述から「死」が全人類に対して「あらがえない王的支配力」を持ってしまっているということを聴き取っています。まさにその聞き取り通りです。★そこで問題になるのは「何故、死が全人類に対して、それほどまでに、絶対的支配力を持つのか」ということです。★これに対する答えは「神学」に属しています。ですから「神学」によって異なると思います。私の場合は「契約神学」に立ちますので、「アダム契約」に対する違反が、その根拠であると解釈しています。
[13]というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。[14]しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。
★この2節に対する塚本虎二先生の敷延訳が修武先生によって紹介されています。
「何故か。律法のない時代は、つまりアダム以後モーセ律法の出来るまでの間にも、罪はこの世にあったが、律法がないので、たとえ罪に当ることをしても、罪はその人の責任に帰せられず、罪の罰は受けないはずである。にも拘らず、アダムからモーセの間にアダムと同じ律法違反の罪をおかさなかったその時代の人々の上にも死が王として支配したからである。したがってこの罪と死がアダムによるものでなくてなんであろう。そして一人の行いが、全人類に影響を及ぼす点において、アダムは来たるベき者である新約のアダム、即ちキリストの型である。」
★この敷延訳の言葉からわかりますように、塚本先生は、パウロの論述から「死」が全人類に対して「あらがえない王的支配力」を持ってしまっているということを聴き取っています。まさにその聞き取り通りです。★そこで問題になるのは「何故、死が全人類に対して、それほどまでに、絶対的支配力を持つのか」ということです。★これに対する答えは「神学」に属しています。ですから「神学」によって異なると思います。私の場合は「契約神学」に立ちますので、「アダム契約」に対する違反が、その根拠であると解釈しています。