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イースター:“死”の先に希望に至る道が開かれた日

sna-015
★今日はオリーブチャペルの方々と一緒のイースター礼拝となりました。イースター(復活祭)にあたり、キリスト教会でよく語られる言葉に次の言葉があります。「主イェスが死から復活された時、死に対して死が宣告されたのだ。」★使徒パウロが旧約聖書から引用した言葉で言えばこうなります。「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。」★ここで「愛の配慮の無い言葉を語るな」とのお叱りを受けることを覚悟して、一般的で究極的な言い方をしますが、「死」という門をくぐり抜けた先が「無だけ」だとしたら、私達の人生は、ただ単に“死”というゴールに至るまでの道筋がそれぞれ異なっているだけで、結局は皆同じ結末に至るのです。★この種の虚無的な言葉こそが客観的な真理ではないかと確信している人たちに対して希望の火をともせるのは「死が罪の結果」であり、その罪の問題が解決されるなら「死」は「いのち」に転換されるという言葉を確信させてもらえる以外にはないと考えます。★解説無しでそのまま引用しますが、主イェスは今この時も私達一人一人に対してこう語りかけておられます。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。★どんなに時間がかかっても、主イェスが罪の問題の解決者であると受け入れることができ、マルタの答えに連なることが出来れば幸いです。「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。
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