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神を冒瀆する言葉なのか、それとも本当にそうなのか

★主イェスと律法学者やパリサイ人たちとの会話です。(51)よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」。主イェスのこの言葉に対して、(52)ユダヤ人たちが言った、「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死に、預言者たちも死んでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉を守る者はいつまでも死を味わうことがないであろうと、言われる。(53)…彼も死に、預言者たちも死んだではないか。あなたは、いったい、自分をだれと思っているのか」。★「わたしの言葉を守る者はいつまでも死を見ることがない」という言葉により、主イェスは「悪霊つき」と判断されています。★続く段落で主イェスは「自分をだれと思っているのか」という問いに答えます。それが「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。この言葉に対しては「悪霊つき」という判断ではなく、「石をイエスに投げつけようとした」のです。★これは「石打の刑」を実行しようとしたことで、主イェスの口から神を冒瀆する言葉が語られたことを示しています。★実は「わたしは、いるのである」というこの言葉は、「εγω ειμι」と表記されまして「神の名」なのです。ですからユダヤ人には「アブラハムの生れる前からわたしは、神である」と聞こえたわけです。主イェスは「悪霊つき」なのか、それとも「ほら吹き」なのか、それとも文字通り「εγω ειμι」なのか!
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