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キリスト者は今、信仰によって完全な義を持っている

★箴言第11章4節~6節にはこうあります。(4)宝は怒りの日に益なく、正義は人を救い出して、死を免れさせる。(5)誠実な者は、その正義によって、その道をまっすぐにせられ、悪しき者は、その悪によって倒れる。(6)正しい者はその正義によって救われ、不信実な者は自分の欲によって捕えられる。★4節に「怒りの日」とありますが、文脈理解で言えば「主の怒りの日」となります。そうしますと、この言葉は、イザヤ書等の預言書に登場します「主の日」に該当すると解釈でき、終末の時に定められている、主なる神様による「裁きの日」のことです。★この視点に立ちますと、4節から6節の主旨は明らかです。否定的に言えば、「終末時の裁きの日に、金銀、財宝の類いは一切役に立たない」ということです。肯定的に言えば、「正義は人を救い出して、死(滅び)を免れさせ」、「正しい者はその正義によって救われる」ということです。★聖書全体の啓示に従うなら、ここで語られる「正義」とは、主なる神様の御心を行うという正義のことであり、より具体的には、律法に生きることです。そして、裁きの日に必要なのはこの「義」です。★ここから信仰による義の幸いを確認することが出来ます。主イエスは、律法の一点一画もすたることがないように、地上の生涯を歩んで下さいました。第一に、主イエスは生涯の全てにおいて、律法に忠実に従われました。第二に、律法違反規定に該当している私たち罪人の不義を背負って、律法上の違反規定をその身に適用してくださいました。この二点により、主イエスは全律法に従い、完全な義を生きて下さったのです。私たちは今、信仰によってその完全な義を持っているのです。
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