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富める青年と使徒パウロとの出会い

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★加藤常昭先生が大変興味深い設定をしておられました。それは、マルコ10章17節に登場する「富める青年」と「使徒パウロ」が出会うという出来事です。★富める青年は「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」との言葉を主イェスから聞くと「顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った」のです。なぜなら彼は「たくさんの資産を持っていたから」です。これに対し、パウロには次の言葉があります。(06)熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。(07)しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。(08)わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。この両者が出会うのです。★この設定だけを拝借して両者の出会いを想像してみました。皆様にも自由に想像していただきたいのですが、私が思い至った一つのことは、この二人には決定的な相違があることです。富める青年が出会ったイエスは、十字架刑による死と復活の出来事を迎える前のイエスであり、使徒パウロが出会ったのは、それらの出来事の後の復活のイエスであるということです。★パウロの証しとその言葉をこの富める青年はどう聞くのでしょうか?
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