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主の祈り⑥


★「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」前回、この祈りの内容は「わたしたちを誘惑に会わせないで、悪しき者からお救いください。」と理解してよいのではと語りました。しかし、翻訳者は「誘惑」と翻訳せず「試み」と翻訳しました。なぜでしょうか。★ここで、ゲッセマネの園において主イエスが祈られた言葉を引用します。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」この祈りの中に語られる「この杯」とは、直接的に言えば、主イエスご自身が既に自覚していたと推察される十字架刑による死を意味します。しかも、この杯は必ず飲み干さなければならない杯であるということも自覚していたはずです。ですから、最も合理的に言えば、この「過ぎ去らせてください」という祈りは、主イエスの口から出てこないはずの祈りであります。★私たちは合理的な思考をし、合理的な信仰生活を送ることは当然なことです。そのような中、キリスト者は、合理的な思考の結果、時に、この祈りを祈ることはおかしいという論理的帰結に至る場合があることに気付きます。しかし、そのような時、この主イエスの祈りを思い起こしましょう。主イエスがこの祈りを祈ってくださったが故に、避けることの出来ない試みを前にした時、それを避けさせてくださいと祈る道が開けているのであります。この意味で、キリスト者は、「わたしたちを試みに会わせないでください」というこの祈りを祈りつつ、霊的成長に必要な「試み」を主なる神様から受け取っていくのです。
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