主の年の2022年、おめでとうございます
02/01/22 00:00
★新年の挨拶をしつつ、キリスト者が「主の年」の年数を数える事の意味をわかちあいたいと思います。★まず一方の意味ですが、クリスマスの出来事から言って「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」との宣言が2022年間続いていると言えます。また、主の祈りから言えば「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」との祈りが2022年間続いていると言えます。★次に他方の意味です。コリント人への第一の手紙第16章22節に記されたパウロの言葉から言えば「マラナ・タ(われらの主よ、きたりませ)」というこの言葉の実現を待って2022年目に入ったということです。また、使徒行伝に記された御使いの言葉でい言えば「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」というこの言葉の実現を待って2022年目に入ったということです。★以上のように、主イェスが歴史の中に登場して下さったことには「既に成就した」面と「未だ成就していない、即ちこれから成就する」面とがあるのです。このことから分かりますように、キリスト教信仰を持って生きることには「常にこの二つの焦点」があります。★主の年の2022年、新しい年の始まるこの時だけでなく、日々このことを心の内に覚え、宣教共同体(信仰共同体という言葉に対する私の言い換え)の一人一人として、共に歩みましょう。