「ニュース」に向き合う時に必要な「ファクトチェック」の意識
07/07/19 00:00
★「フェイク(虚偽)ニュース」という言葉を、かなり頻繁に耳にするようになりました。この言葉を「虚偽の情報であるにもかかわらず、あたかも真実の情報であるかのように伝えるニュース」と定義しておきます。★この定義に従えば、マスコミ上であれ、ネット上であれ、情報を発信する場において起きる出来事であります。★この問題の深刻さは、先ず第一に「フェイクニュース」を流した側が「フェイクではない」と主張し続けますから、虚偽と判定されるまでの長い期間「フェイクニュース」が、そのまま拡散してしまうということです。第二に、これは私の判断ですが、日本においては、自分に届けられた「ニュース」が「フェイクか、それとも真実か」と判断する「ファクトチェック(事実検証)」の意識が低いと考えます。私は「オレオレ詐欺」が横行てしまう背後にもこのことがあると考えます。★使徒行伝を読んでみますと「それは本当か?」という姿勢は、キリスト教信仰を持つ時に必要であります。
[10]そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。[11]ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。[12]そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。(使徒行伝17章)
★ここに記されていますように、ベレヤのキリスト者は「果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べた」のです。
[10]そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。[11]ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。[12]そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。(使徒行伝17章)
★ここに記されていますように、ベレヤのキリスト者は「果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べた」のです。