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偽りのはかりは、主に憎まれる

★箴言第11章1節にこうあります。「偽りのはかりは主に憎まれ、正しいふんどうは彼に喜ばれる。」読んでの通りですが、この箴言そのものは「偽りのはかり」を問題にしています。何故「偽りのはかり」が用いられるのでしょう?最も分かりやすい答えは、商売上利益を得るため、と言えます。実際は95gしかない分銅を用いて100gを示すようにはかりを作成すれば、この5gの不足分が利益を生みます。このように「偽る」という行為は「偽りに基づいた利益」を目指しているわけです。★創造主なる神様は、このような「偽り」を憎まれるのです。そして、すぐにわかりますように、この箴言のルーツは、「あなたは隣人について、偽証してはならない。」というこの十戒です。ですから、逆に言えば、この第九戒は「偽り」にかかわる全ての事柄の土台となる戒めです。★「偽証」という行為は「何らかの利益」を必ず「自分の側に生みだすのだ」ということを思いめぐらしますと、私たちが「つい、口から出まかせの言葉を言ってしまう」ことに思い至ります。「つい」と口では言いますが、後でよくよく考えてみますと、この行為は、咄嗟に何かを失うことを恐れた行為なのです。人間の損得判断は瞬時になされます。これを、箴言の文脈で言えば、「偽りの口びる」以外の何ものでもありません。★私たち「赦された罪人」にとってこの「つい」が出たら、その場ですぐ第九戒違反と認め、告白しましょう。そこに、祝福が隠れていると信じます。
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