神と富とに兼ね仕えることができない
29/03/09 00:00
★今日は主イエスによる次の御言葉を聴きます。「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」★この主イエスの言葉は、譬えによる教えの典型です。どういうことか、説明致します。意志を働かせずにいる自然状態の私たちは、「神と富とに兼ね仕えることができる」と考えてしまっているのです。ところが主イエスから見れば、私たちのライフスタイルは、富を主とし、神が従となっているのです。通常、私たちはこのことに気づきません。否、自覚できないのです。★そこで、そのことに気づかせるために、まず「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。」という比喩を語られたのです。この比喩ならば、だれでもわかります。現実に二人の主人を持つ位置にいるとなれば、なおさらです。必ず「一方を憎んで他方を愛し」、「一方に親しんで他方をうとんじる」という事態に至ります。この現実的なリアリティーを確認した私たちに対して、主イエスは、「それと全く同じように、わたしたちは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」と伝えているのです。★ですから、この教えは、本人の感覚的な自覚を前提していないのです。更に言えば、教えの結果、感覚的に自覚することを期待しているというよりもむしろ、信仰者自身の意志的な決断として、「私は神を主とし、富は従の位置に置く」と告白しつつ生きることを直接求めておれるのです。これもまた日々の聖化の歩みです。