起こり得ないことが起きたからこそ開けた永遠のいのちへの道
08/04/12 00:00
★使徒パウロがアテネで伝道した時の記録が使徒行伝に残っています。「パウロは‥市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていた‥」★この時パウロは「この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから‥」と、創造主について語り出し、その「神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」と語り、創造主により、最終的な「さばきの日」が定められており、その日が確実に到来することの確証として、主イエスの復活という出来事が起きたのだ、と述べています。★しかし、「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い‥」となり、論客の多くが、「死人のよみがえり」という論点にひっかかりを覚え、最終的な「さばきの日」が創造主により定められているという論点に対しては、全く注目に値しないかのごとく過ぎてしまったことが記録されています。★「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」主イエスの復活を否定してしまえば、この喜びの言葉が自分の心に届く時を、自分自身で先延ばしにしてしまいます。