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預言者エレミヤの苦悩

★涙の預言者と呼ぶべきでしょうか、預言者エレミヤに臨んだ主なる神様の言葉に、こうあります。[01]ユダの王ヨシヤの子エホヤキムが世を治めた初めのころ、主からこの言葉があった、[02]「主はこう仰せられる、主の宮の庭に立ち、わたしがあなたに命じて言わせるすべての言葉を、主の宮で礼拝するために来ているユダの町々の人々に告げなさい。ひと言をも言い残しておいてはならない。[03]彼らが聞いて、おのおのその悪い道を離れることがあるかも知れない。そのとき、わたしは彼らの行いの悪いために、災を彼らに下そうとしたのを思いなおす。[04]あなたは彼らに言いなさい、『主はこう仰せられる、もしあなたがたがわたしに聞き従わず、わたしがあなたがたの前に定めおいた律法を行わず、[05]わたしがあなたがたに、しきりにつかわすわたしのしもべである預言者の言葉に聞き従わないならば、(あなたがたは聞き従わなかったが、)[06]わたしはこの宮をシロのようにし、またこの町を地の万国にのろわれるものとする』」。★裁きの言葉を託された預言者ほど辛い存在はないだろうと推察します。この時の預言者エレミヤは、イスラエルという国全体の持つ「空気」が求めるている声とは真反対の言葉を告げなければならないのです。「空気」の支配は、時に絶対的になり、極論を言えば、その時の「空気」に反逆することは、死を意味します。★使徒パウロは「耳障りの良い言葉」と表現しましたが、時の権力者に迎合する「声」をあげる預言者が同時に起こっている現実の中では、預言者エレミヤは真実の意味で孤独であったに違いないと推察します。★「語る言葉を託される」とは、言葉を託すお方との信頼関係を前提しなければ、成り立ちません。ですから、召命の根拠が、召される側の義に拠らないということの故に、預言者として立っていられるのだと信じます。
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