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交わりの持つ意味

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ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。(マタイによる福音書第18章20節)
この御言葉からの応用的メッセージとしてルターが次のように語っています。☆人は他の人々と交わっているときより、一人でいる方が、はるかに大きな、また多くの罪を犯すものである。私は、自分の体験からも、一人でいる間ほど多くの罪に陥ることはないと思っている。☆人は一人でいると、一つのことだけをじっと思い巡らす。そして、私たちは何かやっかいな状況に追い込まれると、ますます思い込みがひどくなって、それを実際よりさらに大きく悪いものに受け取るのである。☆自分より不幸な人は誰もいないと思い、自分のかかえている事態が悪い結末に終わると想像する。☆結局、私たちは、一人でいると奇妙な思いに取り付かれ、物事を実際より悪く解釈する。私たちは大いに痛い目に会っているー方で、他の人々は私たちよりとても幸運であり、他の人々はこのようにうまく行っているのに、私たちは逆にあらゆる苦悩と災難のなかにはまり込んでいるのだと思ってしまうのである。
★このルターの言葉には、「教会に集まり、交わりを持つ意味」が語られていると読めます。意図的ではないにしても「交わりの欠如」がもたらすものは、詰まる所、「まず事実そのものを見るのだ」というステップを飛ばしてしまい、即座に事実に対する否定的な解釈を行ってしまうと言えます。「
集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。(ヘブル10:25)
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