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キリスト者の持つ「被造世界の管理責任」という言葉の意味について

★礼拝説教の中で使われる「被造世界の管理責任」という言葉の意味が少々分かりにくいとのお声をいただきました。そこで、今日はその意味を(ある程度)分かり易くお伝えしたいと思います。★私は団地の管理修繕委員をしておりますので「管理」という言葉は、大きく「必要なケア(手当て)を実施する」という意味です。私は自らの「所有する財産である団地」を「管理」しているわけです。同様に教会の「ワーキンググループペテロ」の働きは、教会が所有する教会堂という建物を「管理」している働きです。★キリスト者の場合、創造主を知るに至り、自分の身体も命も、親であることも、親でないことも、自分の能力も、社会的な役割(働き)も、それこそ、ありとあらゆることが、創造主から「委ねらているものである」と知るに至ります。★ですから、主から委ねられた自分自身の心身を健康に保つことは「管理」の範疇に入ります。子どもは主から委ねられた存在と考えますから、育児は「管理」の範疇に入ります。「食事を準備する」ことは、創造主から委ねられている身体の健康を保つ働きですから、日々の食卓の準備も、飲食店の働きも「管理」の範疇に入ります。★話を教会に戻せば、主から委ねられている教会堂を清掃すること、教会堂周りの雑草を抜くこと等に始まり、主なる神様を礼拝する礼拝式のために必要な全てのことに携わること、これら全てが「キリストの体である教会」を「管理」することになります。★そうしますと、詰まる所、隣人に挨拶をするというような小さな事を含め「創造主と自分自身と隣人を愛する」ことは全て「被造世界の管理責任」を果していることになります
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