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“選び”ということ

★加藤常昭牧師のコラムから引用します。(口語訳に変更)☆[03]ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、[04]みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、[05]わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。(エペソ1章)☆私たちがキリスト者として生きるのは、自分で選択し、決めたことではない。「主イエス・キリストの父なる神」が、私たちを既に選んでいてくださったからこそ、今教会に生きる。教会について語るエペソ人への手紙は、そこを出発点にして語り始める。この選びの事実を賛美することから始める。しかもそれは、私たちを「きよく傷のない者」とするためであり、「神の子」にするためのものであった。☆教会は神の子たちの群れである。これはまさにこの神のご意志に根ざすこととして信ずべきことである。だからこそ私たちは「神の家族」なのである。わたしたちが仲良しであり、家族のように気が合うからではない。わたしたちは、神の選びを信じる。私自身において。私たち自身において。★改革長老派神学の言う「選びの教理」は、他教派の人達には受け入れがたいものです。ただ一点、考えて欲しいことがあります。霊的に生まれることと、私たちが両親の間から生まれることとの間には啓示的な類比点があります。私たちは誕生することを意志的に選んではいません。また、私たちの誕生は、両親の愛の結果です。
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