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Wednesday, April 02, 2025
福音書が記す「神の国」と「天国」について
17/03/19 00:00
★今日は、このコラムで、キリスト教で語られる
「
神の国
」と「
天国
」との相違について書き記しておきたいと思います。福音書を読みますと次の御言葉に出会います。一つは「
バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、『悔い改めよ、天国は近づいた。』
」
(マタイ第3章1,2節)であり、もう一つは「
イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。
」(マルコ第1章15節)です。★この両者は同じことを語っているはずですので
「
天国
」とは「
神の国
」のはずです。何故この違いが生じたのか、その理由として私が採用しているのは次の事です。★マタイによる福音書はユダヤ人に向けて書かれた福音書です。そのユダヤ人は、「
主の名を、みだりに唱えてはならない
」という十戒に従い、旧約聖書で「
ヤーヴェ
」という言葉が出て来ると「
アドナイ
」と読み替えました。それと同じように、マタイは、現在的な「
神の国(=支配)
」という意味が強い例外を除いて「
神
」を「
天
」に読み替えたのではないか、という解釈です。★この解釈に立ちますと、いわゆる「
天国
」とは、死んだキリスト者が行く待合室のこととなり、それに対して、「
神の国
」とは、世の終りに登場する、創造の御業の完成としての「
神の国
」のことになります。★この意味で言えば「
天国
」に行ったキリスト者が「
神の国
」に入れないということは起きませんので、葬儀の際に「
天国
」が語られることは当然ですが、私としては「
神の福音
」の最終的なゴールは、「
神の国
」と「
死からの復活
」であることを強調します。
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