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福音書が記す「神の国」と「天国」について

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★今日は、このコラムで、キリスト教で語られる神の国」と「天国」との相違について書き記しておきたいと思います。福音書を読みますと次の御言葉に出会います。一つは「バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、『悔い改めよ、天国は近づいた。』(マタイ第3章1,2節)であり、もう一つは「イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」(マルコ第1章15節)です。★この両者は同じことを語っているはずですので天国」とは「神の国」のはずです。何故この違いが生じたのか、その理由として私が採用しているのは次の事です。★マタイによる福音書はユダヤ人に向けて書かれた福音書です。そのユダヤ人は、「主の名を、みだりに唱えてはならない」という十戒に従い、旧約聖書で「ヤーヴェ」という言葉が出て来ると「アドナイ」と読み替えました。それと同じように、マタイは、現在的な「神の国(=支配)」という意味が強い例外を除いて「」を「」に読み替えたのではないか、という解釈です。★この解釈に立ちますと、いわゆる「天国」とは、死んだキリスト者が行く待合室のこととなり、それに対して、「神の国」とは、世の終りに登場する、創造の御業の完成としての「神の国」のことになります。★この意味で言えば「天国」に行ったキリスト者が「神の国」に入れないということは起きませんので、葬儀の際に「天国」が語られることは当然ですが、私としては「神の福音」の最終的なゴールは、「神の国」と「死からの復活」であることを強調します。
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