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「空の空、空の空、いっさいは空である」ならどうするのか?⑥

前回「創造論的肯定思考」から一気に方向転換をして「否定思考」について考えました。そのきっかけとして、コヘレトの言葉「人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか」を取り上げました。この言葉は「否定思考」であり、仏教的意味での「」を感じ取る言葉とも言えます。★そのように語った上で、続く御言葉は「いくら人が労しても、影響を与える事ができない領域」がコヘレトによって語られていると読めないでしょうか?と問いました。この問いによって気づいて欲しかったことは「力(努力)は万能ではない」、「人間の力(努力)は有限である」ということです。★その上で強調しますと「自分の力(努力)は有限である」という事実と「自分の有限性に空虚感を感じて無気力になる」事実とは、必ずしもイコールではないのです。このことは、心理学的な意味での「学習」と深く関係していると考えられています。★自己意識が形成されつつある子どもの時に、自らの失敗を、養育者から「どのように受け止めてもらったのか」によって「自分の有限性に対する感覚や感情は変わるのです」。★申命記第29章29節に「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し…。」と書かれています。適用的な読み方をすれば「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである」とは「人間の有限性を越えた事柄はわれわれの神、主に属するものである」となりませんでしょうか。ですから、私やあなたが「われわれの神、主」をどのように理解し、信じているかによって「自分が万能ではない」事実に対する感じ方は変わるのです。
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