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主は、愛する者を懲らしめられる

★今日は、主なる神様から与えられる「懲らしめ」についての教えです。(11)わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。(12)主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように。★ここに言う「懲らしめ」には二つの可能性が考えられます。第一は、人生の歩みの中で、なにがしかの「痛い」出来事が生起し、それが主なる神様から与えられる「懲らしめ」の場合です。第二は、具体的な人物を通して、直接的に「叱責の言葉」をもらう場合です。以上の可能性のどちらであれ、そこでわきまえなければならないのは、「私には軌道修正が必要である」という理解と自覚です。★直接的な「叱責の言葉」の場合、私たちとしては、比較的気付きやすいと思います。これに対して、なにがしかの「痛い」出来事が生起する形での「懲らしめ」の場合は、案外見過ごされやすいと考えます。自分自身ではもちろん気付けず、そのまま進んで行ってしまうと大きな過ちを犯してしまうというような場合、主なる神様は、摂理的な働きを起こされるということです。★「私には軌道修正が必要である」という理解と自覚を得るために最も有効なのは「神の言葉に聴く」ことですが、私たちは、無意識的に「神の言葉」を遠ざけることが出来ます。そのような場合、父がその愛する子を戒めるように、主は、愛する者を、懲らしめられるのです。ですから、主の懲らしめを軽んじることなく、痛みを持ちつつも、軌道が修正されることを選びとりましょう。
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