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民主的な骨格と自己の確立

★私の杞憂かもしれませんが、今の日本では、「強いリーダーシップ」を求める声が、無防備に、叫ばれているように思えてなりません。★民主的な方法によって物事を進めて行くということは、私たち一人一人が、意思決定の場に参加するという主体性が前提です。この主体性を支えるのが、正しい意味で自己確立した「私」という存在です。自己確立した、その私が考え、その私が決断すること、その私が声をあげ、その私が行動することによって、現在、自分が生きている場に影響を及ぼすことが可能であるということ、それが「民主的な骨格」だと考えます。★自己確立していない「私」でも、この「民主的な骨格」を、外側から与えられて機能させることは出来ます。しかし、その骨格が、自己確立した「私」の内側から生まれ出てきたものでない場合、極めて脆弱です。誤解を恐れずに言えば、外側から与えられた「民主的な骨格」は、いとも簡単に、「上意下達の骨格」に取って変わられてしまいます。私としては、この「上意下達の骨格」の「上」が、今求められている「強いリーダーシップ」のように思えてしまいます。そして、この「上」は、いとも簡単に、自己確立していない「私」たちを支配してしまいます★「上意下達の骨格」を推進する知者達は法的な仕組みを熟知しています。民主的な骨格そのものを上手に崩してしまえばよいのです。そして、民主的な骨格を覆されてしまった後では、民主的という言葉は、反体制という意味に転じてしまうのです。今保持している民主的な骨格を大切にし、正しい意味で自己確立した「私」を育てたいと思います。
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