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キリスト者が生きることは原理的に積極的である

★「キリスト者」になったことによって、「キリスト者」が「生きること」は原理的に「積極的である」ことを確認したいと思います。★何度も確認していますが、創造主が人間に与えた使命である「被造世界の管理責任」は創世記に記されています。
[28]神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
★この言葉の中に「神は彼らを祝福して言われた」とあります。ここから確認できますように「堕落する前の人間」は、管理責任を果たすことが出来るようにと「祝福されている」のです。結果「堕落する前」の人間は、この「祝福に押し出されて」管理責任を「積極的に」果たすことが出きていたのです。★「キリスト者(再生した者)」になったことにより、私たちは、原理的に、この出発点に立つ者とされています。つまり「キリスト者」になったことにより、まず私たちは、この「被造世界の管理責任」を再自覚するのです。★次に、私たちキリスト者は、創造主に「祝福されている」ので「積極的に、管理責任を果たすことが出来る」と分かるのです。同時に、その実現のために、インマヌエルの主が「聖霊」を遣わして下さり、私たちキリスト者がその「聖霊と共に生きること」が求められているのだ、と分かるのです。★既に「聖霊」は遣わされていますが「聖霊と共に生きること」はキリスト者の側の意志と連動しています。「共に生きよう!」というキリスト者の側の決断が待たれています。
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