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義に飢え渇く人たちは満ち足りるようになる

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★アメリカに於いては大統領選挙の結果を受けて、国内が二分された状況が続いています。デモ行進の中に「トランプは私の大統領ではない!」というプラカードを持った若者達の姿があります。その理由は様々でしょうが、大きく言えば「義」の感覚が背後にあるように思います。クリントン候補においても「義」の問題があり、一気に信用度を落としてしまいました。★韓国においても大統領に係る「義」の問題が持ち上がっています。受験を終えた多数の高校生までもがローソクを持ってデモに参加しています。★これらの姿を見て思い起こされた御言葉が、これです。「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」取り分け、私の心を捕えたのは「飢えかわいている」という動詞です。「飢え渇くほどに」人が「義」を求めるとは、一体どのような意味なのでしょうか?主イェスの時代には、熱心に「義」を求めていたパリサイ派の人達がいたのです。★私たちの国では、ある高等裁判所において「一票の格差が3倍以内なら合憲である」という判決が出ています。同じ事実を角度を変えて言えば、選挙の際に、一人の人が3回投票しても選挙違反にならないということです。★乱暴なことは言えませんが、このように考えてくると「義に飢えかわいてしまう」のは、「義」の基準が多数派の利によって変更されてしまうというように「義」の相対化が起きてしまうからではないかと思います。この意味で言えば、主イェスが語る「義」は、創造主が定めた「義」であって、その基準は決して変更さることなく必ず適用される、と聴き取ります。聖なる「畏れ」を持って聞くべき言葉です。
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