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「思考の枠組み」という理解を持つ

★箴言10章には、次のような言葉があります。(17)教訓を守る者は命の道にあり、懲らしめを捨てる者は道をふみ迷う。(27)主を恐れることは人の命の日を多くする、悪しき者の年は縮められる。★ここに登場する「命の道」とか「命の日」の「命」を、いわゆる生物学的な意味での「命」と考えてみましょう。そうしますと、ごく一般的に言えば、「これは、長寿のための箴言」という理解になります。ところが、私たちの生きている現実(経験的な事実)を見回しますと、「悪しき者の年は縮められる」ことなく、堂々と悪しき世界を謳歌し、むしろまわりの人達がその悪しき結果の故に命を短くするということが起きています。★そこで、ここで言う「命」とは、生物学的な意味での「命」ではなく、天地創造の最初において既に啓示され、主イエスの福音において語られた「神の国に生きるための永遠の命」のことではないかという解釈を導入してみましょう。そうしますと、この箴言の主題は、地上的な命の長短ではなく、「教訓を守る」ことや「主を恐れること」こととが「永遠の命」と関連しているのだという主題が浮かび上がってきます。★この解釈の転換は、聖書が、人間にとっては、「生物学的な意味での命こそが最も重要」という“思考の枠組み”ではなく「永遠の命こそが最も重要」という“思考の枠組み”で記されているという理解があるからです。★「理性に基づいた伝達」において、伝える側も聞く側も、この「思考の枠組み」という言葉を了解していませんと、コミュニケーション(伝達)が空回りします。信仰や福音の伝達においては、このことがなおさら重要です。
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