牧師のページ

成人したキリスト者をめざして

★ボンヘッファーの語った言葉に触発されてそのロジックを参考にして述べます。「私たちは、自由に考えることができ、その考えたことを自由に表現することが可能な国に生きている。教育が目指すことは、その自由の持つ意味の大切さを国民一人ひとりに浸透させることです。」私個人の思い過ごしに過ぎないかも知れませんが、現在このことが国民一人ひとりに伝達されていないのではないかと危惧します。★日本国憲法で、一人の人間としての人権、そしてその人権の持つ自由が保障されているからこそ、この自由を規制する仕組みに対して声をあげることが出来ます。ところが、もし、憲法そのものが、人権の持つ自由を規制するとしたら、現実はどう変化するのでしょうか?極論を言えば「自由に考えることができ、その考えたことを自由に表現することが不可能」になるような法律を定める道を開くことになります。そして、その法律は、日本国憲法というお墨付きを背後に持つことになるのです。★「法律的な専門知識は難しくてわからないでしょう。私たちに任せてください」という言葉は「お任せします」という言葉とペアになっています。原発問題をも含め「法律的な専門知識は難しくてわからない。ですから全てお任せします」というのが常識的な生き方であるとするなら、このこと自体は「自立した個としての人格」にとって恥ずかしいことなのではないでしょうか?もし、個人としての人権が持つ自由とその自由が保障されていることについて知らないなら「その怠慢を、誠実に埋め合わせる」ということ以外の結末を導き出してよいのでしょうか?
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