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「空の空、空の空、いっさいは空である」をどう読み解くのか①

★NHKの「こころの時代」で昨年、一昨年と旧約聖書の「コヘレトの言葉」が放映されました。若松英輔さん(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)と小友 聡さん(東京神学大学教授)との対話を中心にして「コヘレトの言葉」が読み解かれました。

(02)伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
(03)日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。(口語訳)

★「空の空、空の空、いっさいは空である。」というこの言葉が仏教の教えを連想させるので、宗教の壁を越えて「人々の心に響く」ように思えます。しかし、実際に読み進みますと、その内容は「無常観」を保持するような言葉の連続ではないのです。ですから、若松さんの「知とこころ」と小友さんの「知とこころ」とが対談する必要があったと言えます。★比較しても意味はありませんが、この番組を見た後、お二人の「知とこころ」に及びもしない私もまた「コヘレト」が語る「」の意味を思い巡らす事となりました。★結果、現在の私には、この「」を読み解くヒントは「コヘレト」が語る「みな空であって風を捕えるようである」というこの言葉を、主イェスが語られた「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」という言葉から読み解く事ではないかと考えています。★注目しているのは「」です。私たちは「風を捕える」と聞くと「不可能」と解釈してしまいますから「虚無」が連想されてしまいます。しかし、主イェスの言葉からは別の視点を与えられます。(次回に続く)

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