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黄金律を読み解く一つの試案−その2


★今日は「黄金律」の二回目です。前回、この黄金律が、創造の御業の完成である“神の国に至りつつある自分”に命ぜられていると理解しました。★このことを再度説明させてください。この視点に立ちますと、とても図々しく聞こえますが、キリスト者にとって、「人々(隣人)からしてほしいと望むこと」とは、神の国に至るために隣人が私たちと共に歩んでくれることです。また、神の国の完成を目指すために隣人が私たちと共に歩んでくれることです。★これを受けてキリスト者は「人々(隣人)にもそのとおりにする」のです。そうしますと、キリスト者の側は、隣人が神の国に至るために、私たちは隣人と共に歩むのです。これが伝道です。また、隣人が神の国の完成を目指すために、私たちは隣人と共に歩むのです。これが協働、即ち、社会的責任を果すために、共に働くことです。★この行動の根拠として先の言葉があるのです。「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」★これは、父なる神様の側の与える確実さということを述べているのですが、これを、私たち人間の側で言えば、例えば「何が起きても、あきらめないで、継続し続ける」となります。★主よ力をお与え下さいという祈りと共に、この黄金律を生きる歩みを!
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