主なる神様により、その存在を喜ばれている自分
10/01/10 00:00
★今日は、主イエスの語られた次の譬え話から考えます。
[04]「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。[05]そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、[06]家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。[07]よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きい喜びが、天にあるであろう。
★主イエスによるこの譬え話の要点は「羊飼いの側の喜び」です。この聖書個所から、中学一年生たちに「一匹の羊(“あなた”という存在)を見出したことを喜ぶ羊飼い(主なる神様)の喜び」を語りますと、聴いていた中学生達は「神様の愛に心が暖かくなりました」というとても素直な感想を書いてくれます。★福音の語り方に王道はないと思います。とすれば、私としては、主イエスの語られたこの譬え話シリーズ、「失われた羊の譬え」,「失われた硬貨の譬え」、そして「失われた息子(放蕩息子)の譬え」にその軸足を置きたいと思います。日本人は、福音を通して、聖霊のお働きにより、「主なる神様により、その存在を喜ばれている自分」について伝えられることがもっと必要です。