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翻訳のままではなく、ギリシャ語本文にこだわる理由

★今朝は、次の有名な御言葉をギリシャ語で考えてみます。前半のみです。

[33]まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:33)
[33]ζητειτε δε πρωτον(最初に) την βασιλειαν(王国) και την δικαιοσυνην(義) αυτου…

★両者を並べてみて分かりますように口語訳で「求めなさい」と翻訳されているギリシャ語は「ζητειτε」です。もちろん命令形です。
★続いて、これまた有名な御言葉です。始めからギリシャ語を入れておきます。
[07]求めよ(αιτειτε)、そうすれば、与えられるであろう。捜せ(ζητειτε)、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(マタイ7:7)
★命令形が3つ続く有名な御言葉です。すぐにお気付きになられると思いますが、6章33節で「求めなさい」と翻訳されているギリシャ語が、7章7節においては「求めよ」の方ではなく「捜せ」の方に用いられていることです。★この事実から私としては、ごく単純に、主イェスが次のように語られたのだ、聞き取りました。

[33]まず神の国と神の義とを捜し求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

★6章33節をこのように聞きますと、私たちの側に「神の国と神の義」へと向かう意欲や意志が必要なのではないかと思い至ります。いかがでしょうか?

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