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しんどくても、御言葉に触れ(聴き)続ける

★思考においても、行動においても、何がしかの行き詰まりに直面した時、キリスト者はどうするのでしょうか?この問いに対しては、一般に語られているように「原点に立ち返る」ことです。もう少し一般的に言えば「前提に立ち返る」となります。★今朝はキリスト者の立ち返る「原点」として次の御言葉を引用します。
[07]われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。
[08]また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか。
[09]ただあなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、それらの事をあなたの心から離してはならない。またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない。(申命記第4章)
★目には見えませんが、第一に「われわれの神、主は」今自分の置かれている場所のすぐ「近く」にいてくださいます。このことを、受け入れることです。第二に、キリスト者には行動指針としての「律法」即ち「正しい定めと、おきてとがある」のです。行き詰まりに直面した時、私たちは、当たり前のように「聞く耳と読む目を使わなくなります」。何も聞く気がなくなり、何も読む気がしなくなるのです。結果的に「近くにいてくださって、語りかけてくださっている主の御声を聞けなくなります」。「自分自身をよく守る」とは、恐らく、しんどくても御言葉に触れ(聴き)続けることです。
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