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愛の具体的な例示としての律法

★律法問答として有名な次の箇所をまず読みます。(34)さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。(35)そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、(36)「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。(37)イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。(38)これがいちばん大切な、第一のいましめである。(39)第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。(40)これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。★この箇所を読みつつ、私たちは続いてどのように応答するでしょうか?多くの方々は、使徒パウロの言葉を思い起こすのではないでしょうか。(14)律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。そして、コリント人への第一の手紙第13章に至るかもしれません。★しかし、今朝お伝えしたいのは、旧約聖書への道筋です。問答を通して発せられた主イェスの言葉が伝えているのは、旧約聖書の律法には「主なる神様を愛するための具体的な行為」が記されているのであり、「隣人を愛するための具体的な行為」が教えられているという理解です。★この種の言葉を聞きますと、「律法主義に逆戻り?!」と思われるかもしれませんが、そうではありません。救済の視点から言えば、キリスト者とは、主イェスに於いて律法を完全に遂行してしまった者なのです。そして、律法の視点から言えば、キリスト者とは、創造主から委託された被造世界の管理を、創造主の意図である律法に添って果す位置に新生して再度立たされている者なのです。★例えば、具体的な愛の指針として「申命記」を読むことは、正しい意味で謙遜なキリスト者を生み出します。
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