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イースターおめでとうございます

★ルカによる福音書の中に、エマオという村へ向かっていた二人の弟子に対して、復活された主イエスがお出会いになる記事があります。★主イエスはこの二人の弟子たちに問います。「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか?」この問いに対してクレオパという弟子が答えます。「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。主イエスは言います。「それは、どんなことか」★この問いに対して、クレオパは、主イエスが行われた御業から始め、主イエスの十字架刑、そして、墓から消えた主イエスの遺体について語るのです。この時クレオパが主イエスを呼んだ肩書きは「力ある預言者」でした。この説明を受けた後、主イエスは二人の弟子にこう語りかけています。「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。『キリスト』は必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」★この個所を読んだだけでもわかりますが、主イエスが単なる「力ある預言者」の一人ではなく、旧約聖書の中で預言されていた「キリスト=救い主=メシヤ」であるという啓示が信じられるためには、どうしても「復活」という出来事を経る必要があったのです。しかも、主イエスのお言葉から判断すれば、メシヤの復活については、「モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり」文字になって記されているのです。★起きた出来事自体の啓示と起きた出来事を説明する啓示の両方が一人の人格の中で一つになること、それはもう神聖な領域(聖霊の御業)です。
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