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「空の空、空の空、いっさいは空である」ならどうするのか?③

★私は「コヘレト」が語る「」とは「一方で、その存在がある(実在する)事は確実だと分かるのですが、他方、その存在(の全体)をつかみ取る事が出来ない」状態と解釈しています。★この解釈に立ち「では、私たちはどう考え、どう行動するのか」について考え始めました。前回は「肯定的な思考」について「実存的肯定思考」と「創造論的肯定思考」について取り上げました。今日は「創造論的肯定思考」について更に深めます。★「コヘレト」が語る「」の一般的な理解を言えば、人が「不条理に直面した時の状態」を表していると解釈できます。つまり、人生に「生きる意味」を見出せなくなっている状態です。★このような「不条理」に直面した時「実存的肯定思考」は1つの「解決への道筋」を指し示しています。「不条理」とは、言換えれば「問題解決を他者任せにしている状態の結果」なのです。そして「解決を他者任せにしている」以上、解決はありません。★このことが分かれば「実存的肯定思考」が「解決への道筋」を与えることの意味が分かります。なぜなら「不条理」のもたらす無意味に見える現実に対して意味を賦与するは、まさに「あなたという存在」なのだ、という方向に道を開くからです。★この「実存的肯定思考」をふまえて「創造論的肯定思考」を考えれば、両者の相違が明らかになります。「創造論的肯定思考」は「被造世界に起こる全ての事柄に対する創造主の摂理的支配」を確信しますから「既に意味は存在する」のです。これに対して「実存的肯定思考」の究極の土台は「自分」ですから、意味は自分で造り出すものなのです。(続く)
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