主の祈り⑤
25/01/09 00:00
◆今日は主の祈りを構成する最後の祈りを扱います。「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」この祈りについては、解説をするというよりも、一つの提言をさせていただきます。◆大前提を言います。私たちキリスト者は信仰的(霊的)に成長すべき存在です。しかもこの成長は、月日が経ってみたら自然に成長していましたという類いの成長ではありません。むしろ課題を与えられ、その課題に取り組み、その課題を解決することによって得られるところの成長であります。そうしますと、私たちキリスト者が信仰的に成長するために必要な課題は、信仰者の側から言えば、主なる神様から与えられる試み(試練)として理解されます。◆ところが、キリスト者であれば直ぐに気付かれることと思いますが、この試みを利用して誘惑とし、キリスト者を無力感に閉じこめようとするのが悪魔の働きです。つまり、主なる神様から与えられる成長のための試みは常に誘惑の入り口ともなるということです。この視点に立ちますと、「わたしたちを誘惑に会わせないで、悪しき者からお救いください。」という翻訳の方が、キリスト者の祈りにより近いように思います。そこで、提案です。主イエスが教えてくださったこの最後の祈りは、その意味することを言えば、「わたしたちを誘惑に会わせないで、悪しき者からお救いください。」と理解してよいのではないかと思います。◆しかし、翻訳者は「試み」と翻訳しました。ですから、「わたしたちを試みに会わせないで」という祈りを祈ることについては、次回述べさせていただきます。