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キリスト者は、肉との戦いつつ「御霊に導かれる歩み」を生きるのである

★パウロによってエペソ人への手紙第5章1節、2節にこう書き記されています。
[01]こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。

[02]また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。

★丁寧に聴き取ってみましょう。1節は「神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい」ですが、その意味する事は「神に愛されている子供として、その神の愛にならう者になりなさい」と読み取れます。★2節はギリシャ語本文の私訳で「愛のうちを歩きなさい」の後「即ち、丁度、キリストがあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたように」となり、「神の愛」とは「キリストが自分に示してくれた愛」の事となります。★以上から、説明的な表現になりますが、「キリスト者は、キリストによる贖罪愛の内を歩みつつ、キリストの示した贖罪愛の形にならって、歩みなさい」となります。★そうしますと、キリスト者は「キリストによる贖罪愛の内を歩みつつ」「キリストにならう歩みをうる」ことになります。★続く3節以降を読むと「不品行といろいろな汚れや貪欲など…口にすることさえしてはならない」、「卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい」と勧告されています。★当然の帰結に至りました。別の勧告で言えば「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」となります。

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