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キリスト者のこの世にあっての立ち位置

★わたしたちの教会は「被造世界の管理」という言葉や「社会的責任」という言葉を聞く機会が多いと思います。その理由は、歴史の出発点である「創造の御業」を啓示する創世記の出来事に多く耳を傾けるからです。啓示の順番から言えば、創造の御業が来ます。人間に焦点を当てれば、次の御言葉─「被造世界の管理」─です。
[28]神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(被造世界の管理命令)。
★礼拝説教の中でも語っていますが「最初の人アダム」が「アダム契約」の内容である次の言葉─「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」に違反しても、創造主なる神は「被造世界の管理」という人間の使命を人間からは取り上げなかったのです。★結果、自らを「創造主なる神様」と同等の位置に置いて生きてしまう私たち人間が、この「被造世界の管理」を担っているわけです。★この意味から「大祭司の祈り」として知られる、次の主イェスの言葉を読みます。[15]わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。[16]わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。[17]真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。★救いにあずかったキリスト者は「世のものではない」存在でありつつ同時に「世から取り去られず、神により悪しき者から守られつつ、神の御言葉の真理によって聖別されつつ」被造世界の管理責任を果たすのです。
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