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“愛”の宗教としてのキリスト教について

★コリント人への第一の手紙第13章と言えば、愛について語られた大変有名な聖書個所です。使徒パウロが愛の特質を語りだす第4節の出だしは、口語訳と新改訳では「愛は寛容であり」と翻訳しています。これに対して、新共同訳は「愛は忍耐強い」と翻訳しています。★この「寛容」という言葉を広辞苑で引きますと「①寛大で、よく人をゆるし受け入れること。②他人の罪過をきびしく責めないというキリスト教の重要な徳目」とあります。私自身、ギリシャ語の言語学者ではありませんが、「寛容」と翻訳された、このギリシャ語の基本の意味は「長く苦しむ、長く悩む」という意味であります。つまり「愛する」とは、相手側に起因する苦痛を、自分の側が長く引き受けるという生き方なのです。この意味が基本にありますので、この言葉は、「苦難に耐える」という意味を持つことになります。それなら何故「寛容」と翻訳されたのでしょうか。それは恐らく、何故それほどまでに「苦難に耐えうる」のかという問いを考えれば、キリスト者は、主イエスの十字架を知る者として「相手を赦す」という道筋に立たされているからだ、といえます。★使徒パウロが愛の特質を語りだした時、「忍耐」の側に、より力点を置いたのか、それともその根拠である「赦し」の側により力点を置いたのか、その答えはパウロ自身に聞くしかないのですが、私たちは私たちなりに答えを出す必要があります。愛に生きるとは美しい言葉です。聖書が「愛に生きる」と語る時、その根底には主イエスの十字架刑があります。ですから、「自分の側が長く苦痛を引き受ける」という要素が始めから含まれているのです。
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