「神の国」をもたらす御言を蒔く
02/11/14 00:00
★今朝は、主イェスが語られた「神の国」のたとえ話を取り上げます。最初はこれです。「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである。」読んでの通りですが、「神の国」は確実に拡大することが「種の生長」によって類比的に例証されています。★マルコはこの譬え話にもう一つの譬え話を続けています。「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる。」こちらは、「神の国」の拡大する大きさの伝達です。極く極く小さい「一粒のからし種」が、「大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほど」に大きくなることを伝えています。★常識的に判断して、前段の文脈から解釈すれば、「神の国」をもたらすものは、蒔かれた「御言(みことば)」です。また前段には「御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」とありますから、「神の国」の譬え話が伝えているのは、蒔かれた「御言」を受け入れる人達が必ず存在し、それも数多く存在するということです。もちろん、健全な解釈で言えば、この譬え話の成就は、世界規模です。とは言え、日本が除外されているわけではないと信じます。★約束の聖霊のとりなしに期待して、失望せず、コツコツと「御言葉の種」を蒔き続ける教会であり続けましょう。