牧師のページ

キリスト者は偽善者ですか?

pcd05013
★私たちはしばしば「キリスト者は偽善者である」という言葉を聞くことがあります。また、キリスト者の中でも、「自分は偽善者ではないのか?」と悩んだりもします。しかし、この事は、聖書が啓示する「人間とは何か」という視点に立ってキリスト者を理解することが出来ない為に起こる事です。★創世記の啓示によれば、創造主なる神は、人間に対しても「はなはだ良かった」という言葉をかけています。視点を変えれば、「神のかたち」に創造された人間は、創造主なる神の御旨にかなう生き方を選べるように創造されたのです。ですから、本来の人間は創造主なる神の基準に従って「善である」生き方を選べたのです。★しかし、創世記の啓示にあるように、人類の代表であったアダムはヘビに象徴されるサタンの言葉を選び、契約に違反しました。それ以後、人間は、創造主なる神の言葉ではなく、自らが決めた判断基準で行動するようになってしまいました。★ですから、キリスト教の与える救いを受け取り、キリスト者になった私たちにとっての行動(行為)の出発点は、パウロの言葉を借りれば「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。」となります。★そうしますと、もし私たちキリスト者の中から、「あいつは偽善者だ」と批判したくなるような「善き行い」が出て来ているとしたら、それは「救いの恵みの結果」であって、私たち自身の力によって生まれ出てきた結果ではないのです。★それだけではなく、私たちキリスト者から「善き行い」が出ることは、創造主なる神の御旨にかなっているのです。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver