直感的に感じている「不自由さ」が「平気」にならないために。
27/06/21 00:00
★今日は「私の考える民主主義の崩壊(大袈裟な表現⁈)」について書いておきたいと思います。★新型コロナウイルス感染症に対する対応を通して、独裁的な指導者が統治する国家と民主主義で成り立っている国家の存在が見えていました。これに加えて、香港やミャンマーの出来事が報道され、独裁的な指導者が統治する国家の持つ「不自由さ」が強く意識されました。★私は「民主主義の基本は多数決である」という決断方法の土台には「国民の主権は自立した国民を前提としている」ということと「その前提が国民一人一人に共有されている」という大前提があると考えます。★ややこしい表現で語ってしまい申し訳けありませんが、お伝えしたいのは民主主義的な決断には「国民一人一人」、「土台」、「前提」、「大前提」という要素が入り込んでいることです。★生意気な表現であることは承知しつつ語りますが、現在の日本の政治的な状態は、今述べた「国民一人一人」、「土台」、「前提」、「大前提」が自覚的ではない為、結果的に、一つの政党による「独裁的な権力行使」がまかり通っている状況ではないかと考えます。つまり、原理的な意味で、民主主義は成り立っていないのです。★東京都に住む私たちは、これから、都議選を迎え、秋には衆議院選挙を迎えます。民主主義の根幹である「自立した国民としての政治参加」を行使する国民が育つことがなければ、形式上は民主主義の国家であっても、結果的には、一つの政党による「独裁的な権力行使」が継続する国家であり続けることになると私は考えます。★私は、キリスト教信仰は時間をかけつつ「個の自立」を育む働きをすると信じています。