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自ら考え判断するという手順は省けない

★今日考えるのは次の言葉です。「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。」★この言葉の少し先にこうあります。「その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」★後に続いた言葉から判断しますと、イエスの名によって預言することや、イエスの名によって悪霊を追い出したり、イエスの名によって力あるわざを行うことが出きることが、偽預言者を見分ける実とは必ずしもならないことが分かります。ここで言う「預言する」とは、神の言葉を預かって語る働きと理解されますが、現代の解釈では、説教も含みます。★そうしますと、逆に言えば、偽預言者が堂々と説教し、悪霊を追い出し、力ある業を行っていることもあり得るのです。★それでは見分ける実とは一体何なのでしょうか?両者の言葉に挟まれて、「天にいますわが父の御旨を行う者」という言葉があります。つまり、「天にいますわが父の御旨を行う」という「実」がそれだとなります。★やはり、自ら主なる神様の言葉と向き合い、父の御旨とは何かと考え、判断するという生き方が求められています。
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