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義に飢え渇く人とは

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★「山上の説教」の最初で主イェスは「七つの幸い」について語っておられます。その中の一つにこうあります。(06)義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。★この言葉の中で語られている「」とはいったい何でしょうか?加藤常昭先生は、「義とは何よりも神との正しい関わりである。」と語っておられます。この視点で言えば、「義に飢えかわく人」とは、まず、①その人は「自分」と「主なる神様」との関係が正しくなければならないと知っています。ですから、次に②自分なりに必死に努力して、「自分」と「主なる神様」との関係を正しくしようと生きています。それにも関わらず、③その人は「自分」と「主なる神様」との関係が正しいのかどうか確信が持てず、不安で、平安がないのです。★このような状態の人(罪人)に対して主イェスは「彼らは飽き足りるようになるであろう」と語られました。この言葉は、「第二のアダム」であった主イェスのご生涯が、唯一、主なる神様の御前に「完全に義」であったこと。そして、主イェスを「救い主」と信じる者に対しては、その「信仰」により、主イェスの持つ「完全な義」が「転嫁」されることによって実現しました。なぜなら、信仰によって「完全な義」を「転嫁していただいた人(罪人)」は、その「転嫁していただいた義」の故に、主なる神様との関係が「義」となるからです。
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